森林ボランティアの歴史とこれから

時期を分けて、森林ボランティアの歴史を振り返ります。
そして、その歴史や実態を基に、これからの森林ボランティアを考えます。

(1)1960-1984年:森林ボランティアの始まり

国土緑化運動は森林ボランティアの原点

わが国の森林は、長い歴史の中でさまざまに活用され育まれてきました。しかし、第2次世界大戦後はかなり荒廃した状況にありました。それは、戦時中の軍需用材、戦後の国土復興期における建築用材やパルプ用材、さらには炭や薪といった燃料などとして、森林が過剰に利用されたからでした。

そうしたなか、「荒れた国土に緑の晴れ着を」のキャッチフレーズに国土緑化運動の一環で、様々なアプローチから国民参加による森づくり活動が進められてきました。

戦後の国土緑化運動は、1949年に文部省と農林省協議により、山林資源愛護思想の普及と公共福祉に対する寄与の観点で、「学校植林運動実施要綱」が通達され、あわせて「第1次学校植林5カ年計画」が樹立されました。このもとに「学校林」の造成が行われ、その活動は現在も続けられています。そして1950年からは、広く国民への植樹意識の普及の役割を担う「全国植樹祭」が始まりました。また、「緑の少年団」による森林愛護活動も1969年以降に全国に広がってきました。

1971年以降は、市民だれもが植樹の機会をもてるようにと、環境緑化用の苗木を無償で提供する運動を開始しました。1973年からは、記念植樹活動への助成も始められました。さらに、それまでの個人を中心とした植樹活動から、自治会や婦人会やPTA等が公共空間に「みんなの森」の造成を支援する緑化活動が1978年から開始されました。

失われる都市の緑と原生的な自然

ところで、日本の自然保護運動は.1949年の尾瀬ヶ原のダム計画に反対する「尾瀬保存期成同盟」(1951年「日本自然保護協会」、1960年財団法人化)の発足に端を発しています。1960年代に入ると、悪化する公害問題や開発問題等に対して、「○○の自然を守る会」、「○○を反対する会」などといった自然保護、公害反対運動を行う市民団体が多く生まれ始めました。

また高度経済成長期には、都市への人口集中が進み、それまであたり前にあった雑木林や里山が急速に失われてきました。都市部の緑地を守るため1966年には近郊緑地特別保全地区を設定する「首都圏近郊緑地保全法」が、1968年には都市緑地の確保を法制化した「都市計画法」が、そして1973年には緑地保全地区制度、緑化協定制度を創設する「都市緑地保全法」が制定されました。

そうした情勢のなか1971年に環境庁が設置され、あわせて観光地振興を前提とした「自然公園法」に加えて、原生的自然の保護を制度化する「自然環境保全法」(1972年)が制定されました。市民サイドでも、1971年には全国の自然保護団体が一堂に会する「第1回自然保護団体会議」が開催され、同年に78団体が参加のもとで「全国自然保護連合」が結成されました。これらの機運をもとに、1970年代からは多くの自然保護団体が各地で活動を始めました。

しれとこ100平方メートル運動(北海道) 1985年

しれとこ100平方メートル運動(北海道) 1985年

また、自然保護運動の形態も幅広さをもってきました。1964年には作家・大佛次郎さんら鎌倉市民によって、神奈川県鎌倉市の鶴ヶ岡八幡宮の裏山を守る 「ナショナル・トラスト運動」(「鎌倉風致保存会」)が生まれ、1974年からは和歌山県田辺市天神崎で、1977年からは北海道斜里町での「国立公園内 しれとこ百平方メートル運動」などが始まりました。それらを背景にして、1983年には「ナショナル・トラストを進める全国の会」(現「日本ナショナル・ トラスト協会」)が結成されました。

また、幅広く市民に対して自然保護教育を推進するために、国立公園内での観察・指導をボランティアで行う動きも制度化されました。1957年に、当時の 厚生省から119名が委嘱されたことに始まった「国立公園臨時指導員」が、1966年には「自然公園指導員」と改称され、公園利用のルール・マナーの徹底 や自然解説等を行う動きが生まれてきました(2003年8月現在、2976名登録)。

また、国際レベルでも1975年に「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約(ラムサール条約)」、および「絶滅のおそれのある野生動植 物の種の国際取引に関する条約(ワシントン条約)」が相次いで発効されて、野生動物の保護に対する機運も高まり、これも自然保護運動の活性化の大きな後押 しとなりました。

林業をめぐる動きの変化

大規模な植林地

大規模な植林地

戦後から高度経済成長期にかけて、土木用材や建築材などとして木材の需要が急速に高まりました。木材価格が高騰し大きな社会問題にもなりました。当時、国有林では、国土保全を考慮して毎年成長した分だけ伐採していく「保続原則」が守られようとしていましたが、新聞紙上などでも「伐採制限を大幅に緩和せよ」あるいは「奥地林開発を急げ」と指摘されるほど、国内の木材需要は多かったのです。

そこで、農山村の人たちによって土木・建築用材としてスギ・ヒノキなどの植林が進められました。その規模は1000万haにもなり、2度のピークがありました。

雑木林の落ち葉を使っての堆肥づくり(埼玉)

雑木林の落ち葉を使っての堆肥づくり(埼玉)

1度目は、1954年(植林面積43万ha)。おもに軍需用材として大規模に伐採された跡地への植林です。1950年に始まる「造林臨時措置法」などを受けて行なわれ、約10年で約100万haが植林されました。

2度目は、1961年(植林面積42万ha)。いわゆる拡大造林による植林です。

これには、2つの背景がありました。1つは、家庭での燃料が木炭や薪から石油・プロパンガス・電気へと代わったこと。もう1つは、堆肥が落ち葉や堆肥から化学肥料へと転換したことです。

雑木林へのゴミ廃棄も問題に

雑木林へのゴミ廃棄も問題に

この結果、かつては木材伐採量の約半分を占めていた広葉樹の薪炭林(雑木林)は、用途を失なってきました。しかし、広葉樹がパルプ原料として盛んに利用されるようになり、薪炭林は再び伐採が行われ、その跡地に積極的にスギ・ヒノキなどが植林されるようになりました。これにより、人工林率は、1960年には26%だったものが、10年後には33%、20年後には40%へと上昇しました。

このように人工林が増えていきましたが、成長過程のため当時の木材需要を満たすには至りませんでした。1960年に丸太材の輸入が自由化されると、安価な外材の輸入が年々増えていき、木材の自給率は急激に低下していきます。

木材輸入港(東京)

木材輸入港(東京)

特に、1971年のニクソン・ショックを契機とした円の切り上げ、1973年の変動相場制への移行、そして1985年のプラザ合意等により為替相場が円高基調になったことは、輸入量の増加と、国産の木材価格低迷の大きな要因となりました。その結果、1960年に87%だった木材の自給率は、現在では20%を下回わるまでになってしまいました。

戦後復興・経済発展を目的として、林野庁および森林所有者などによって精力的に育てられた人工林でしたが、外材の輸入増大などによる国産材価格の低迷、代替材料の進出、働き手の高齢化や減少などの実情のなかで、人工林を育んでいくために欠かせない除伐・間伐などの作業が遅れがちになっていきました。

間伐が遅れている人工林

間伐が遅れている人工林

森林ボランティアの先駆け

山火事跡地でのボランティアによる植樹(岐阜)

山火事跡地でのボランティアによる植樹(岐阜)

このように、国土緑化運動をルーツにして、林業活動の低迷による森林荒廃、そして自然保護運動の活発な動きを背景として、1960年代および70年代に森林ボランティアの先駆けといえるいくつかの取り組みが生まれました。

一つは、岩手県田野畑村で生まれた山火事跡地の再生活動でした。1960年代に入って岩手県・陸中海岸一帯はフェーン現象の影響で毎年のように大火に見舞われ、多くの森林が焼失しました。そうした状況を目の当たりにした早稲田大学教授であった故小田 泰市さんが、1961年から「野外研修」で、学生とともに消失した森林の復興活動に取り組みました。

その後、1967年に「思惟の森の会」が発足するとともに、村や地域住民等との共同で交流拠点として大学セミナーハウスがつくられ、交流活動を深めながらの森林づくりが現在も続けられています。

二つ目は、1974年に富山県大山町の造林地で、夏の下草刈り作業の軽減のために計画されていた除草剤の空中散布に反対して生まれた活動でした。当時富山県立大学教授の足立原貫さんを中心とした「農業開発技術者協会」は、除草剤散布による水と土の汚染を危惧して、対案として地道な草刈り作業を若者を中心としたボランティアによって行うことを発案し、「草刈り十字軍」運動が生まれました。

その活動は、映画「草刈り十字軍」(吉田一夫監督、加藤剛主演/1997年)でも紹介されました。1974〜2003年の30年間の実績は、下草刈り面積が約1700ha、参加者は延べ約3万人、さらにはこの活動は東京、神奈川、京都、滋賀、新潟などへと広がっています。

三つ目としては、北海道帯広市の取り組みがあげられます。1975年に北海道帯広市では、その後毎年約6000人が参加して約1

「帯広の森」での植樹(北海道) 1994年

「帯広の森」での植樹(北海道) 1994年

万本の植樹を行う「帯広の森」づくりが始まりました。当時は、開拓の歴史の中で森林は後退し、街の周辺部でも自然を失いつつありました。そこで、当時の帯広市長・故吉村博元さんが「100年かけて失ってしまった原生林を100年かけてよみがえらせよう」と、オーストリア・ウィーン市を参考に、帯広を緑のベルトでつなぎ、緑と共生する街づくりを進めていく構想を提唱しました。

その構想のもとに、1975年「帯広の森市民植樹祭」が開始され、1991年からは「市民育樹祭」も開催され、市民の手により100年の森づくりが行われています。植えられ育てられている樹木は、動物が住みやすいようにとミズナラやハルニレなど55種類が選ばれています。そして、帯広の森は406.5ha(2003年3月末)あり、そのうちの133ha に約23万本が植えられ育てられています。この森づくりには延べ15万人の市民が参加しています。

各地で始まる森林ボランティア

人々の自然に対する意識が高まっていくなか、1980年代に入ると各地で森林づくりボランティア活動が生まれてきました。
関東地方では、1983年に「森林クラブ」が結成されました。同クラブは、「森を育てる」ことを通じて自然との触れ合いを体感することを目的に、岩手県で「思惟の森の会」の活動に携わっていた学生を中心として結成されました。発足当初は、各地の林業家の手伝いなどをしていましたが、自分たちで責任を持って森林を育てていきたいという思いから、1985年から群馬県下仁田町に1.6ha、1987年から神奈川県山北町(西丹沢)に1.1haの国有林を借り、植林から始まる本格的な森づくり活動を始めました。

中部地方では、未来の子どもたちにも、緑豊かな住み良い地球を残そうと、「山から木を一本もらったら、木を一本返そう」、「子どもひとり、どんぐり一粒」を合い言葉に、1981年に「ドングリの会」が活動を始めました。この会では、それぞれの家庭でドングリから育てた苗木を飛騨や富士山などに植え、また、二次林の枝打ちや除間伐といった森の再生作業を行っています。

関西地方では、1980年10月、但馬地方で地元の人々の協力を得ながら植樹活動を展開する「ブナを植える会」が神戸市で結成されました。1981年6月、関宮町鉢伏高原で第1回のブナの植樹が行われて以降、毎年ブナを植え続け、延べ1万本以上になっています。また、阪神・淡路大震災以後、六甲山においても「緑・豊かな森づくり」をめざしてブナを中心として広葉樹の植樹を行っています。 海外で活動する団体も生まれてきました。1980年から「オイスカ」は「苗木一本の国際協力」のキャンペーンを開始しました。薪炭や建築用材のための伐採によりマングローブは減少し続け、これが洪水や干ばつ被害を各地で引き起こしていました。そこで、同会では、フィリピンなどを中心とした植林プロジェクトを始めました。

(2) 1985-1994年:森林ボランティアの広がり

国際森林年と21世紀の森林づくり委員会

焼き畑(インドネシア・カリマンタン1996年)

焼き畑(インドネシア・カリマンタン1996年)

森林ボランティア活動は、「国連食糧農業機関(FAO)」が定めた1985年の「国際森林年」以降に、人々の森林への関心が高
まると共に大きな広がりとなってきました。

「国際森林年」は、熱帯雨林の急激な減少や、酸性雨等による森林の減少・劣化に対処するために、地球規模での森林保全の普及啓発運動を繰り広げることを目的としたものでした。

しかし、一方で、わが国では林業・山村の危機的状況が表面化しており、実態に即した21世紀の森林づくりのあり方を検討することを目的として、国土緑化推進委員会(現在の国土緑化推進機構)が同年に「21世紀の森林づくり委員会」を設置しました。そして、森林管理のあり方を幅広い見地から検討し、翌年に「国民参加の森林づくり」を提唱しました。同年に閣議決定された「第四次全国総合開発計画」において国民への森林・林業の普及啓発や体験活動の機会・場の整備の推進が施策化されることとなりました。また、1988年に開始された「国民参加の森林づくり事業」が始まりました。

酸性雨で枯れた森林(チェコ 1992年)

酸性雨で枯れた森林(チェコ 1992年)

1988年に創設された「緑と水の森林基金」によるさまざまな普及活動、および1989年に創設された「みどりの日」も、人々の森林への関心を高める大きな役割を果たしたのではないでしょうか。

地球規模の環境問題への関心の高まり

白神山地

白神山地

1987年に公布された「総合保養地域整備法(リゾート法)」によって、自然回帰志向が高まる一方で自然保護問題が各地で相次いで起こりました。とくに、白神山地の青秋林道建設あるいは知床国有林での伐採が社会問題化し、木材生産と自然保護のあり方が問われるようになりました。

また、同時に1987年にはオゾン層保護を目的とした「モントリオール議定書」が採択されるとともに、国連「環境と開発に関する世界委員会」の “Our Common Future”(われら共有の未来)と題した報告書が提出され、「持続可能な開発」という、「国家間・国家内の公正」と「世代間の公正」の要素が盛り込まれた考え方が提唱されました。

知床

知床

そして、1990年に経済団体連合会が、「地球環境問題に対する基本的見解」をまとめ、1991年には「地球環境憲章」を策定、1992年には「自然保護協議会」を設置。こうした動きからも環境に対する意識が大きく高まっていたことがうかがえます。

そして、1992年にブラジル・リオデジャネイロで開かれた「地球サミット(環境と開発に関する国連会議)」の開催、および「アジェンダ21」や「森林原則声明」の採択は、地球規模の環境問題への意識をさらに高め、定着させる契機となりました。

屋久島

屋久島

同年には、わが国で「絶滅の恐れのある野生動植物の種の保存に関する法律」の公布、「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)」への批准が行われ、また1993年には「環境基本法」の公布などが相次ぎ、環境政策が拡充されました。

行政による支援

このような動きを背景として1985年以降、行政による森林ボランティア活動推進への取り組みは多く見られるようになってきました。

1985年、東京都の「五日市青年の家」で生涯学習プログラムとして森林ボランティア体験を行う「木と人のネットワーク」が始まります。また、同年には大阪府でも分収造林地を青少年等の林業体験学習のフィールドとして活用できる「府民参加の森林づくり」が始まりました。

1987年には神奈川県で住民参加型の森林整備事業である「神奈川県きづなの森造成事業」が、1989年に静岡県では「森の働き理解促進事業」が創設されました。そして、1990年代に入ると全国的に「県民参加の森づくり」活動が盛んに行われるようになりました。

また、こうした行政による森林ボランティアイベントの修了生などが自主活動グループをつくる動きも現れてきました。東京では、五日市青年の家の「木と人のネットワーク」参加メンバーにより「浜仲間の会」が1987年に創設され、神奈川県では1989年に「玉川きづなの森」、1991年に「かながわ森林インストラクターの会」が、1992年に広島県で「ひろしま人と樹の会」が、1994年に香川県で「どんぐりネットワーク」などが結成されています。

市民団体による活動の始まり

台風19号による森林被害(大分)

台風19号による森林被害(大分)

市民団体による自主的な活動を通した森林ボランティア活動も、各地を襲った台風災害や雪害を契機として開始されました。
東京では、1986年3月の西多摩地域における雪害を受けて、地域の福祉ボランティア団体・「花咲き村」が被害木の片付けを手伝ったことをきっかけに森林ボランティア活動に取り組み始めました。それとともに、富山での「草刈十字軍運動」を受けた「草刈十字軍・東京庵」も活動を始めました。

九州では1991年の台風19号によって幹が折れたり、曲がったり、根こそぎ倒れたりする「風倒木」の被害が相次ぎ,九州の民有林だけでも被害面積は約5万ha、被害総額は1000億円にも達しました。そのうち、最も被害が大きく、被害面積、被害額の約半数を占めた大分県では、中津江村の森林再生に向けて、「(財)福岡YMCA」と「日田林業・500年を考える会」などにより森林ボランティア活動が開始されました。

台風19号による森林被害(石川)

台風19号による森林被害(石川)

これらの活動の多くの特徴は、森林再生に思いを寄せる市民の熱意と、地域の若手林業家組織である林業研究グループや森林組合や篤林家によるフィールドの提供と技術的な支援などによって、森林ボランティア活動が結実することとなりました。また、そうした各地の林業関係者のコーディネートによって、森林ボランティア活動が地域で広がっていくこととなりました。
また、この時期には、自然保護活動などによって守られることとなった里山や雑木林で、自らが具体的な森林ボランティアとして実践活動を行う団体も各地で結成されました。

林研グループ員による小学校での森林教育(埼玉)

林研グループ員による小学校での森林教育(埼玉)

いくつかの例をあげれば、1985年「野津田・雑木林の会」(東京)、1988年に「町田市立かしの木山自然公園愛護会」(東京)、1989年には「宍塚の自然と歴史の会」(茨城県)、1990年に「トトロのふるさと財団(旧トトロふるさと基金)」(埼玉)、1991年には「西多摩自然フォーラム」(東京)などがあります。

活動の広がり

地域材のよる家づくり

人工林が健全に育くまれていくためには、そこで育てられている木材が伐採され利用されていくことが大切です。森林資源の循環的な活用を通して、健全な森林と地域経済づくりをめざす「地域の木材を利用した家づくり」の運動も、この時期に始まっています。1984年には、国産材利用を高めていこうと「国産材住宅推進協会」の前身である「国産材住宅を推進する会」が結成されました。また、1990年代からは近場の木材を使い、100年持つ家造りめざして「素木の会」が1992年に、東京都産の森林を育て、木材を利用して家を建てる「東京の木で家を造る会」が1994年に設立されました。

こうして、森林づくりだけでなく、そこから産出される木材を有効に活用していこうとする市民の動きも見られるようになってきました。こうした「川下」の活動が上流の森林を健全に育んでいくことにつながっていきます。

伐採

伐採

国産材を使った住宅

国産材を使った住宅

木材の運び出し

木材の運び出し

海外での植林ボランティア

中国・黄土高原(写真・緑の地球ネットワーク)

中国・黄土高原(写真・緑の地球ネットワーク)

国際的な植林ボランティア活動も、「国際森林年」の1985年を契機に拡がっていきました。

たとえば、福岡県では「国際森林年」を記念して、「オイスカ」との共催で「ラブ・グリーン若人の翼」をフィリピンに派遣し、植林活動を開始しました。また同年、この「若人の翼」の参加者によって、「ラブ・グリーンの会」が結成されています。民間の動きとしても、「(社)アジア協会アジア友の会」では1985年以降、ネパ-ル、インド、バングラディッシュなどで植林の協力を行ってきました。地域での環境教育をあわせて行い、地域の生活改善にも協力しています。「日本国際ボランティアセンター」は、1986年からエチオピアで植林用苗畑づくりを開始しています。1987年からは、アフリカで「サヘルの森」、中国で「中国同人館」などによる植林活動が始まりました。

ヒマラヤン・グリーン・クラブ(写真・同クラブ)

ヒマラヤン・グリーン・クラブ(写真・同クラブ)

そして、1990年代に入ると、「国際緑化普及センター」が設立されました。「オイスカ」では、1991年からアジア各国で学校単位での森づくり運動「子供の森」計画をスタートさせています。92年には、中国・黄土高原などで緑化に取り組む「緑の地球ネットワーク」が発足しました。パキスタンの山岳地域で植林や地域づくりなどに取り組む「ヒマラヤン・グリーン・クラブ」も92年に設立されています。

このほかにも多くの団体が世界各地で活動を始めています。

漁業関係者による森づくり

漁業関係者の参加しての森林づくり(兵庫)

漁業関係者の参加しての森林づくり(兵庫)

日本では、森林は魚の生息や繁殖を促す存在としても大切に守られ育てられてきました。それは、現在の「魚付き保安林」といった形でも見ることができます。

1980年代に北海道では、大規模な開発行為等により森林が失われ、河川の汚染が進み、それが原因と思われる漁獲量の減少などが起こっていました。そこで、「北海道漁業協同組合女性部連絡協議会」は、1988年創立30周年の記念事業として「お魚殖やす植樹運動」を開始しました。

この運動は、以前から道漁婦連によって行われていた、海岸のごみ拾いを中心とした「百年かけて百年前の自然をとりもどそう」を合い言葉にした「海をきれいにする運動」を、生態系を豊かにする為の運動へと一歩進めた取り組みでした。

また、1989年からは、「森は海の恋人」を合い言葉にカキ養殖関係者によって「牡蠣の森を慕う会」が結成されました。これは、宮城県・気仙沼湾に注ぐ大川上流の岩手県・室根山に漁民による広葉樹の森づくりを開始したものです。

気仙沼湾(宮城)

気仙沼湾(宮城)

この活動は、フランスのロワール川流域の視察をきっかけとして森と海との深い繋がりに気づくとともに、水質悪化などを危惧したカキ養殖業の畠山重篤さんらが発案し、取り組みが始められたものでした。

企業による森づくり

コンビニエンスストア・ローソンの店頭にある「緑の募金箱」

コンビニエンスストア・ローソンの店頭にある「緑の募金箱」

企業による森づくりの活動としては、1986年から「ピジョン赤ちゃん誕生記念育樹キャンペーン」(ピジョン㈱)が、1990年からは「フェリッシモの森基金」(㈱フェリシモ)を通した植林活動が行われていました。そうした中、1992年に国有林では「法人の森林」制度が創設されました。これは、各法人と林野庁とがともに森林育成・造成し、伐採後にその収益を一定の割合で分け合う取り組みで、分収造林と分収育林の二つがあります。なお、天然林などで伐採しないことを前提とした契約も可能です。

また、各地で多様な企業による森づくり活動が始まりました。「ニッセイ緑の財団」、「イオン環境財団」などがのほか多くの企業によって森づくり活動が広まっています。

「ローソン」は1992年に国土緑化推進機構の協力のもと、「ローソン緑の街基金」を設置し、公園や学校などの公共施設での植樹事業をスタートさせ、1997年以降は「ローソン緑の募金」と名称を改め、より大規模な植樹活動に取り組んでいます。さらに、トヨタ自動車、東京海上火災、NTTドコモ、キリンビールほかの企業も森づくりに取り組んでいます。

ネットワークづくり

第1回森林と市民を結ぶ全国の集い(東京)

第1回森林と市民を結ぶ全国の集い(東京)

この時期には、各団体がお互いの知識やノウハウを情報交換しながら、森林ボランティア活動の活性化を目指して全国的な集まりが開催されるようになりました。

1987年に国有林における自然保護等を考える「日本の森と自然を考える全国集会」が長野県で開催されました。1993年には、全国から60団体、延べ500人以上が参加して、消える里の自然パートⅡと題した「里山サミット」も開催されました。1993年には神奈川県の「玉川きづなの森」、愛知県の「雑木林研究会」、鳥取県の「広葉樹文化協会」等が中心となって、雑木林の保全・再生活動に携わる市民団体が集まった「第1回全国雑木林会議」が愛知で開催されました。

そして、1995年に東京で「第1回森林と市民を結ぶ全国の集い」が開かれました。

(3) 1995-2004年:森林ボランティアの多様化

阪神・淡路大震災とナホトカ号海難・流出油災害

1980年代後半から福祉分野を中心として普及・定着し始めていたボランティア活動は、1995年の「阪神・淡路大震災」を契機として社会に幅広く知られ、また活動も各地で生まれる契機となり、この年は「ボランティア元年」ともいわれるようになりました。これに加えて、1997年の「ナホトカ号海難・流出油災害」における市民の活動などによって、ボランティア活動が社会に定着し、またその内容も多様になってきました。

国民参加の森づくりへの期待

森林浴でリフレッシュ

森林浴でリフレッシュ

1992年の「地球サミット」で「森林原則声明」が採択され、森林資源は現在及び将来の人々の社会的、経済的、生態的、文化的、精神的という総合的なニーズを満たすために持続的に管理されることの重要性が指摘されました。また、1992年度の「林業白書」では、森林の公益的機能の外部経済効果が39兆円あることが報告されました。つまり、森林の管理は木材生産活動を目的として林業者のみならず、水資源の供給やレクリエーションの場の提供を受ける都市住民等の受益者とともに、総合的な森づくりを進めることの重要性が指摘されました。

豊かな森林が豊かに水を育みます

豊かな森林が豊かに水を育みます

これらの動きを受けて、1995年には「緑の羽根募金」が、「緑の募金による森林整備等の促進に関する法律」として制定化され、国民等の自発的活動による森づくりを支援するものとして位置づけられました。

そして、1992年にブラジル・リオデジャネイロで開かれた「地球サミット(環境と開発に関する国連会議)」の開催、および「アジェンダ21」や「森林原則声明」の採択は、地球規模の環境問題への意識をさらに高め、定着させる契機となりました。

同年には、わが国で「絶滅の恐れのある野生動植物の種の保存に関する法律」の公布、「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)」への批准が行われ、また1993年には「環境基本法」の公布などが相次ぎ、環境政策が拡充されました

「緑の募金による森林整備等の促進に関する法律」
第一章総則
(目的)
第一条 この法律は、緑の募金の健全な発展を図るために必要な措置を定めること等により、国民、事業者及びこれらの者の組織する民間の団体(以下「国民」と総称する。)が行う森林整備等に係る自発的な活動等の円滑化を図り、もって我が国における森林の整備及び緑化の推進並びにこれらに係る国際協力の推進に資することを目的とする。
(基本理念)
第三条 森林整備等は、森林及び樹木が水源のかん養、環境の保全等人間の健康で文化的な生活を確保する上で欠くことのできない役割を果たしていることにかんがみ、現在及び将来の世代にわたって人間が豊かな緑と水に恵まれた生活を維持することができるよう、国民の自発的な活動を生かして、積極的に推進されなければならない。

この法律では、一人ひとりの自発的な活動が基本に位置づけられており、これまで「国民参加の森林づくり」として緑化運動を展開してきた国土緑化推進機構は、「緑のボランティア文化社会の実現」というテーマを掲げることになりました。それらによって、「森林ボランティア(森林づくりボランティア)」という呼び名も定着し、各地での活動が活発化することとなりました。
その後、2001年に施行された「森林・林業基本法」では、森林ボランティア活動の促進を条項化し、わが国の森林政策においてもはっきりと森林ボランティアが位置づけられました。

「森林・林業基本法」
第三章森林の有する多面的機能の発揮に関する施策
(国民等の自発的な活動の促進)
第十六条
国は、国民、事業者又はこれらの者の組織する民間の団体が自発的に行う緑化活動その他の森林の整備及び保全に関する活動が促進されるように、情報の提供その他必要な施策を講ずるものとする。

環境保全活動

大気中の温室効果ガス濃度を安定化させることを究極的な目的とする「気候変動に関する国際連合枠組条約」(1994年3月)の発効を契機として、1997年の「地球温暖化防止京都会議(COP3)」の開催、および先進国の温室効果ガスの削減を法的拘束力を持つものとして約束する「京都議定書」(1997年12月)の採択がなされました。

一方では、地球上の生物多様性が急速に失われつつあることを受けて、1993年に「生物の多様性に関する条約(生物多様性条約)」が発効し、1995年10月に「生物多様性国家戦略」が閣議決定されました。

こうした「地球温暖化」や「生物多様性」など地球規模の環境問題を扱った報道は、人々の環境意識を高める契機となり、21世紀は「環境の世紀」といわれる程になってきました。

2002年3月には京都議定書で約束した二酸化炭素放出量6%削減を達成するために、「地球温暖化対策推進大綱」(地球温暖化対策推進本部)が決定されました。そして、京都議定書の6%削減約束のうち、3.9%に相当する1300万炭素トン程度を森林の吸収量により確保することが目標とされました。この目標の実現に向けて、2002年12月には「地球温暖化防止吸収源対策10ヵ年対策」が立てられました。ここでも、地球温暖化防止対策としての森林整備を進める四本柱の一つとして「国民参加の森林づくり」が位置づけられました。

「地球温暖化防止吸収源対策10ヵ年対策」
2 10カ年対策の目標
(4)国民参加の森林づくり等の推進
森林・林業に対する国民の理解と森林吸収源対策への支援意識の醸成を図るため、普及啓発はもとより、広範な国民の直接参加による森林の整備・保全活動や森林環境教育を推進する。

2002年には自然の復元、再生、創出、維持管理を地域住民等の参加によって行う「自然再生推進法」が成立し、2003年には地球温暖化や廃棄物問題、身近な自然の減少など、現在の環境問題を解決し、持続可能な社会をつくっていくために、行政のみならず、国民、事業者、民間団体の積極的な環境保全活動・環境教育を推進することを目的として「環境保全活動・環境教育推進法」が成立するなど、環境政策の面からも森林ボランティア活動への後押しが強くなってきました。

学校での自然体験・ボランティア活動

中学生たちによる植樹(愛媛)

中学生たちによる植樹(愛媛)

1996年「中央教育審議会第一次答申」において、子どもたちが自ら考え学び解決する「生きる力」の育成に向けて、学校教育においては国際理解、情報、環境、ボランティア、自然体験などについての総合的な学習や課題学習、体験的な学習等を行う「総合的な学習の時間」が提唱されました。また家庭や社会教育においては子どもたちの「生きる力」を育成するため、地域における生活体験、社会体験、自然体験の活発化が提唱され、自然体験活動あるいは森林ボランティアへの期待が高まりました。1998年に「学習指導要領」が改訂され、「完全学校週5日制」導入や「総合的な学習の時間」の導入、2001年の「学校教育法」、「社会教育法」の一部改正に伴って、社会奉仕体験活動、自然体験活動等の体験活動の充実が明示されました。

そして、2002年の導入された新「学習指導要領」に伴って、奉仕活動・体験活動への要請の高まりという教育行政の動きとも繋がりをもちながら、学校林での活動や、「森の子くらぶ」等がさかんになってきました。

深まる活動

これまで取り組まれてきた森林ボランティアは、その活動が定着するとともに、活動に深まりを見せてきました。

漁民の森づくりは、1996年に開催された「第5回全国漁業大会」で全国の漁協が取り組むべき課題として森づくりが掲げられるとともに、1998年には「全国漁業協同組合連合会」主催により「全国漁民の森サミット」が開催され、活動が全国に拡がっていきました。

企業による森づくりも、地球温暖化問題の顕在化といったことに加え、「緑の募金」法制定などによって増加しました。国際的な森林ボランティアについては、1991年に「国際ボランティア貯金」、1992年に「熱帯林造成基金」、1993年に「地球環境基金」、1995年の「緑の募金」などが創設され、国際的な森林ボランティア活動の支援体制が拡充されました。とくに、1998年の長江流域をはじめとする大洪水を契機として、中国では植林や緑化活動等の国民的運動が本格化して、これを支援するための「日中緑化交流基金」も1999年に創設されました。

地域材の利用に関する運動も、「近くの山の木で家をつくる運動」を展開するとともに、全国の類似した運動の情報交換などをめざして「緑の列島ネットワーク」が1999年に設立されました。また、地域で生産される木材の利用を市民団体が支援するタイプとして、1999年から、「木と遊ぶ研究所」が始めた産地を認証する取り組みも生まれました(現在は、「森林NPO植林針葉樹産地認証協議会(CCDP)」) 。

さらに、1996年には幅広い森林ボランティア団体と、林業家、行政関係者等が一堂に会する「第1回森林と市民を結ぶ全国の集い」が東京で開催され、以降、毎年全国各地で開催されるに至っています。このような地方開催を契機として、全国の森林ボランティア団体の活動情報などに刺激を受けて、開催県でのボランティア活動が活発になるといった効果も生まれました。

新たなテーマ

この時期には、社会からの森林ボランティアの幅広い期待の高まりを受けて、活動の分野もさらに拡がりをみせて、新しいテーマから森林ボランティアが取り組まれる動きが生まれてきました。

山村と都市の共生

山村と都市との交流もさかんになってきている

山村と都市との交流もさかんになってきている

森林の荒廃だけでなく過疎化・高齢化等の課題を抱える山村地域と、過密のなかでやすらぎを失いつつある都市住民とが交流・参加する「都市と山村の交流」が各地で取り組まれています。

群馬県川場村が東京都世田谷区民を対象にした交流事業「やま(森林)づくり塾」が1995年から始まりました。また、1994年から山村で1年間生活し、農林業や村おこしのお手伝いをする「緑のふるさと協力隊」を行っていた「地球緑化センター」が、1996年より全国各地の国有林、市町村有林をフィールドに森林ボランティアを行う「山と緑の協力隊」を始めました。1995年の阪神・淡路大震災の際に、仮設住宅用の木材を徳島県三好郡から無償提供を受けたことへのお礼として、学生が下刈り・間伐等を行う「ボランティア交流in徳島」を開催したことを発端に、大学生協を母体に生まれた「JUON NETWORK」による都市と山村との交流活動「森林の楽校」は、1998年から行われています。

森林バイオマス

ペレット

ペレット

これまでの大量生産、大量消費の社会システムは、温室効果ガスの排出による地球温暖化問題、廃棄物問題、資源枯渇問題などの様々な環境問題を引き起こしてきました。そこで、太陽エネルギーと植物の光合成によって生成される自然起源のバイオマス資源が、地球への環境負荷の少なさや再生産可能という面から注目されるようになりました。そして「バイオマス・ニッポン総合戦略」が2002年閣議決定されました。

地球上のバイオマス現存量のうち約92%は樹木です。森林内に放置されている丸太や間伐材、あるいは廃棄されている林地残材、公園や街路樹などで剪定された枝、チップ、製材屑などを、炭やペレットなどに製品化し有効活用していくという動きも大きくなってきました。

1990年代後半には、「東京の木で家を造る会」等の取り組みが始まるとともに、1999年には神奈川県内で里山の保全・活用を考えて活動してきた市民と、自然エネルギーの普及を目指すNPOのメンバーが声をかけあって、森林バイオマスに特化した活動を進める「神奈川森林エネルギー工房」が設立されました。その後、木質ペレットの普及を目指して活動していく「ペレットクラブ」準備会が2001年に設立されました。また2002年には、森林バイオマスの普及啓発と利用促進を目指して、自分たちが「知る」、「楽しむ」、多くの人に「伝える」、都市と山村や様々な人を「つなげる」、行政等へ「働きかける」をキーワードに「薪く炭くKYOTO」が設立されました。山梨の「えがおつなげて」では、2002年にバイオマスエネルギー委員会を設置し活動を始めています。

林業技術や文化を引き継ぐ

森の巨人達100選・洞爺湖中島の アカエゾマツ(北海道)

森の巨人達100選・洞爺湖中島の
アカエゾマツ(北海道)

2000年に入ると文化的な活動がさかんに進められるようになりました。

2000年には「巨樹・巨木保護中央協議会」が結成され、森林という財産を健全な形で次世代へ残していくシンボルとして、国有林内の代表的な巨樹・巨木を「森の巨人たち百選」として選定し、その保護活動が始まりました。

そして、「東京の林業家と語る会」では2002年から「山の親父とやってみよう」と題して、昔ながらの林業技術を林業家から教わり、自らの手で試行してみる活動を始めました。具体的には、木を伐り乾燥のために棚積みする「リンギリ」、木材を搬出する「木馬」(きんま)「川修羅」(かわしゅら)といった作業です。

また、2002年からは、忘れられようとしている文化・伝統・技能等を次の世代に引き継いでいくため、森林を活かす達人を「森の名手・名人100人」として選定する「もりのくに・にっぽん運動」が始まりました。そして、その達人を高校生100人が訪ね、聞き書きする「森の聞き書き甲子園」も始まりました。

木馬(きんま)による木材の 運び出し(栃木 1985年)

木馬(きんま)による木材の
運び出し(栃木 1985年)

また一方では、わが国では伝統的な木造建築物等の文化遺産が、修復用木材が枯渇しているために外国産の木材によって補修されざるをえない事例が増加している現状にありました。そこで、立松和平氏(作家)と加藤林野庁長官(当時)との対談を契機に、数百年先を見据えた森づくりをすすめる「古事の森」が2002年に京都で始まりました。これを先駆けとして、国有林では文化財など歴史的木造建造物や、各地の祭礼行事、伝統工芸等の「木の文化」を守り、次代に引き継いでいくための「木の文化を支える森づくり」が始まりました。

文化遺産の修理、復元、再建、木造への改築に要する原材料の情報と提供したい森林の情報交換などをめざして「文化遺産を未来につなぐ森づくりのための有識者会議」もスタートしました。また、伝統的な木材利用という点では、民家などの木を生かす知恵と技術を次世代に伝えようとする「古材バンクの会」の活動もあります。

古事の森(奈良)

古事の森(奈良)

政策提言

1997年には、2001年に改正されることとなった「森林・林業基本法」(旧林業基本法)の改正に向けて、市民、森林所有者、行政関係者、学識経験者による「森づくり政策市民研究会」がスタートし、市民の視点に立った森づくりや政策のあり方を提言した「第三次提言」がつくられました。また、愛知県の東三河地域の豊川流域での活動を始めた「穂の国森づくりの会」も、「森づくりプラン推進部会」を設置して、東三河流域のこれからの森づくりを提案する「穂の国森づくりプラン」も実施されました。

その他、森林ボランティアとの意見交換会がしばしば開かれるようになるとともに各種制度・計画の策定時に、「パブリックコメント」で市民からの意見を募集するケースも多くなってきました。

ネットワークづくり

森づくりフォーラムが主催して 多くの市民が参加した「下草刈り大会」

森づくりフォーラムが主催して
多くの市民が参加した「下草刈り大会」

ひとつひとつの市民団体ではできないことを、ネットワークを通して実現していく活動も、この時期に始まりました。東京都西多摩地域で活動していた森林ボランティア団体により結成された「森づくりフォーラム」(1995年)、神奈川県横浜市の市民の森等で活動する市民団体により結成された「よこはまの森フォーラム」(1996年)といった都道府県の一地方での団体間でつくられたネットワークから、都道府県単位では「愛知雑木林連絡会」(1999年)、「ひろしま緑づくりインフォメーションセンター」(1999年)といった情報ネットワークから、具体的な事業を進める機能を有する「やまぐち里山人ネットワーク」(2002年)、「矢作川水系森林ボランティア協議会」(2004年)なども結成されました。

その他

森林セラピー研究会の第1回講習研修会(東京 2004年)

森林セラピー研究会の第1回講習研修会(東京 2004年)

「緑の少年団」や「学校林」など子どもたちの教育にかかわる活動も、1999年後半から教育改革による自然体験活動やボランティア活動の教育的効果への期待の高まりを受けて、「森林環境教育」というテーマのもとに各地で活動が広がり始めました。

また、「森林療法(森林セラピー)」と呼ばれる活動が拡がってきました。森林療法とは、森林の地形や自然を利用した医療、リハビリテーション、カウンセリングなどをさします。森林浴、森林レクリエーションを通じた健康回復・維持・増進活動でもあります。

いずみの森(大阪)

いずみの森(大阪)


2000年からは、「あいち小児保健医療総合センター」の敷地内にある樹林地約3haを舞台に、「雑木林研究会」と「子ども健康フォーラム」が子ども達により良い療養・療育環境をつくろうと森づくりを開始しました。2004年「森林セラピー研究会」が、医療や森林関係者など等の参加によって発足しています。

さらには、活動内容に限らず、活動フィールドについても多彩な取り組みが始まりました。

いずみの森(大阪)

いずみの森(大阪)


1996年に緑の募金制定記念事業として開始されたのが神奈川県津久井町の「さがみの森」です。ここは国有林4.5haの伐採跡地を、自ら計画し市民の手で森づくりを進めていこうとスタートしました。現在の面積は19.28haとなっており、「新しい森と人のつき合い方の探求」「森林の総合利用の模索」などを目的として活動は続けられています。

同様の形態の森づくりとして大阪の「いずみの森」があります。1999年には国有林において様々な森林ボランティア活動を展開するために利用を公募で受け入れる「ふれあいの森」制度が創設されました。また2002年には、学校を中心として森林環境教育等で国有林の継続的な利用を受け入れる「遊々の森」制度等も創設されました。

いずみの森(大阪)

いずみの森(大阪)


ここでは、数多くある森林ボランティア団体のほんの一部しか触れることはできませんでしたが、「ボランティア元年」の1995年以降、森林ボランティア活動はさらに活発となってきました。

そして、2005年には「自然の叡智」をテーマとした「愛・地球博」が開催され、「国連持続可能な開発のための教育の10年」も始まります。わが国の森林ボランティア活動は、さらに大きな拡がりを持っていくのではないでしょうか。

(1)市民活動とNPO

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2001年は「国際ボランティア年」でした。これは、“ボランティア”に代表される“市民活動”や“NPO”によって発揮される役割・機能をより一層普及し、市民参加型の社会システムとしての「市民社会」を21世紀には築いていこう、との視点が含まれているのではないでしょうか。

では、なぜ今、市民活動やNPOへの期待が高まっているのでしょうか。

これまでの社会システムは、ともすれば“公平性”・“公共性”という行動原理をもつ「第一セクター(行政)」、“営利性”・“効率性”という行動原理をもつ「第二セクター(企業)」のみによって形づくられてきた傾向にあります。しかし、そこに限界が生じることが多くなってきました。

市民活動・NPOの魅力

現在の課題を補って、新しい社会的サービスを提供するために、「第一セクター」、「第二セクター」の行政や企業が持っていない行動原理を持つ「第三セクター」。その市民活動やNPOへの期待が高まっているといえるのではないでしょうか。

つまり、市民活動やNPOは、行政にない「(1).先駆性」、企業にない「(2).非営利性」のもとで、「(3).自発性」を基本とした市民参加によって新たな「(4).社会性」のあるサービスを創造し提供する点であるといえます。

パートナーシップがつくる豊かな社会

市民活動やNPOは、行政や企業の「穴埋め」としてではなく、あくまで「行政や企業の行動原理のもとでは適さない社会的サービス」を創造して、提供するものと捉える必要があります。つまり、それぞれが役割分担のもとでパートナーシップを結び、行政、企業、NPOが提供する社会的サービスを、それぞれ有機的に繋ぐことによって、多くの人々が豊かに生活できる社会がつくられることでしょう。

どんな森をつくっていくのか

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ここで日本の森林づくりにを見てみると、これまで「国民参加の森林づくり」ほかによって森林ボランティア活動が各地で推進されてきました。これを素地として、多様な市民による自主的な活動が、全国的に広がってきました。

その中で、これまでの森林ボランティアは、行政からは都市住民等への「森林・林業の普及啓発」に期待があり、森林所有者からは「森林整備の支援者」として期待されています。一方、市民は個々人が活動の中で「楽しみ」を見つけ出すことによって、継続的な活動が支えられてきました。

つまり、行政、森林所有者、市民それぞれの立場によって、森林ボランティアの目的や役割や、方向性などが異なっている場合も少なくないのです。

共通の志を持った仲間

現在、全国各地にある手入れ不足の森林は少なくありません。身近な場所で多くの人々が「森づくり」に関わり、日本の社会全体で森林を守り育てる機運を高めていくことが大切なのではないでしょうか。

そのためには、日本の森づくりを担う、「第一セクター(森林・林業関係行政)」や「第二セクター(林業業界関係者等)」はもちろんのこと、新たに「第三セクター(市民団体・NPO)」を交えた多様なセクターの参加・参画によって、森づくりのあり方を再検討していく必要があります。そして、適切な役割分担のもとで改めて日本の森林を守り育てる社会づくりを進めていくことが必要になってきています。

みんなで描く「これからの森づくり」

その中で、「第一セクター」、「第二セクター」、そして「第三セクター(市民団体・NPO)」が、共通の舞台で森林ボランティア活動を振り返り、それぞれが果たしてきた役割や成果を整理して、地域ごとに将来への展望を描くことが求められているのではないでしょうか。

森林づくりにおける市民団体・NPOの可能性

市民一人ひとりの行動によって蓄積された力と思いが、新たな社会サービスの提供者として可能性が認知され、ボランティア活動やNPO等への期待が高まっています。

これまでの活動

ここで四つの特性から森林ボランティア活動を整理すると、次のようになるのではないでしょうか。

図 . 木俣知大 2003

図 . 木俣知大 2003

従来の森林ボランティア活動は、参加者の自発性に重点をおいて、(1).都会を離れて自然の中で体験活動を行うという社会性を帯びた余暇活動としての取り組み、(2).森林・林業の現場に足を運んで、体験的に現状を知り解決に向けた活動を行う生涯学習活動としての取り組み。作業効率は求めずに、森林・林業への理解を深めることに重点をおくという、個人的な尺度を軸とした「普及啓発」系の取り組みが多く見られました。また、活動の成果に対する対価は求めずに、活動の成果や活動の楽しさ等に価値を求めた非営利性に重点をおいた活動も多く見られます。つまり、(3).森林のもつ様々な機能の恩恵に対する恩返しといった意味合いで行う社会的な奉仕活動としての「森林作業」系の取り組みが多く見られました。

新たな段階

しかし、森林荒廃の現状に対して活動を始めた森林ボランティアが一定の認知が得られるとともに、新たな段階へと発展していくことが期待されるようになってきました。
つまり、森林分野に限らず、市民団体やNPOへの期待が高まる中で、(4).その活動の社会的効果や成果といった社会性を高めるとともに、新たな社会的サービスを創造し、提供するという先駆性の特徴を有した社会的起業活動としての意味合いを含めた「新規創造系」の活動への期待が高まっています。

広がる「市民参加」制度

市民参加を取り入れた制度づくりは、1995年に施行された「環境基本法」を契機として、環境行政、河川行政、さらには農林水産行政において広がってきました。これは、地域住民やNPO等の意見を政策に取り入れたり、多様な主体の参加・参画、あるいは連携・協働のもとで各種施策の推進を図る仕組みです。つまり、「河川法」、「都市緑地保全法」、「自然公園法」、「食料・農業・農村基本法」、「森林・林業基本法」、「水産基本法」等の施行や改正が相次ぎ、近年では省庁横断的な「自然再生推進法」、「環境保全活動・環境教育推進法」が施行される現在は、制度政策面の転換期にあるといえます。

森林再生の新たな活力

このように、近年市民に対する期待が年々高まっていく中で、森林分野の市民団体・NPOに対する位置づけは、これまでの「普及啓発系」や「森林作業系」だけでなく、新たな市民団体やNPOの参加・参画、さらに行政や企業などとの連携・協働を通じて、多様で幅広い活動が期待されています。

現在の森林・林業が直面している課題、つまり手入れの遅れた森林の保全・整備はもちろんのこと、循環型社会の形成に向けた間伐材や地域材等の木材利用の推進、森林空間の多様な利用の推進、さらには都市と山村の共生・対流などの更なる推進と活性化の担い手として、あるいは全国や地域の森林計画の立案や、森林政策の策定過程などへ参加・参画するなど、様々な活躍の場があるはずです。

市民団体やNPOがひらく「国民参加の森林づくり」

市民団体やNPOは、これからの日本の森林を守り育て、そして活かしていく新しいメンバーであり、そしてこれまで日本の森林を守り育ててきた行政や企業等の良きパートナーとして期待されています。

特に、市民団体やNPOには、様々な分野、立場の人々が集まっており、そこから生まれる多彩な知恵や技術、さらには制度や営利性に縛られない自由さといった特徴をもっています。

森林ボランティアの日

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(社)国土緑化推進機構では2003年に、9月第3日曜日を「森林ボランティアの日」に制定しました。

1977年9月16日、大分県で森林を育てることの大切さを伝える「第1回の全国育樹祭」が開かれました。その思いをさらに広げ、一人ひとりがそれぞれの立場で森林づくりに参加する気持ちを醸成するとともに、森林ボランティア活動の社会的評価を高めていくため、この日に近い9月第3日曜日を「森林ボランティアの日」とすることを呼びかけているものです。

その呼びかけに応えて、この日に各地で森林づくりなどの活動を行うグループも多くなっています。

なお、いくつかの県では独自にこうした日を設けて取り組んでいます。

山梨県・岐阜県では8月8日、滋賀県では10月1日、和歌山県では11月7日、高知県では11月11日を「山の日」としています。群馬県では、11月第2週の日曜日を「森林ボランティアの日」としています。広島県では、森林ボランティア団体や山岳関係の団体などが6月第1日曜日を「山の日」としてボランティア活動などを呼びかけています。さらに、こうした「山の日」を国民の祝日として国へ働きかけたいとの提案も出されています。

こうした日も、より多くの人が森林に関わっていくきっかけとなるのではないでしょうか。

私たちの日本列島は、その67%が森林です。ヨーロッパの「石の文化」に対して、「木の文化」を築いてきました。しかし、その原点でもある森林が荒廃しているところが少なくありません。

再生可能な資源である森林と木は、使うからこそ守り育てられ、そして共生することができた側面を持っています。とりわけ私たちの生活の場に近いところにある里山は、そうした活用によって守り育まれてきました。

いま、私たちは、先人の知恵と技術を活かし、21世紀型の新しい「木の文化」を創り上げたいものです。そのためにも市民団体を含め様々な人々の参加による「国民参加の森林づくり」を発展させていきたいものです。