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気候変動と森づくり

世界と日本の植樹プロジェクト

乱伐と植林を繰り返した日本の森の歴史

日本での植樹の始まりは、縄文時代にさかのぼります。火を燃やすために木を伐採し、森で採れる山菜やキノコ、ドングリやトチの実などを食していた人々は、クリやウルシなどを植え、栽培して利用していたことが、青森県の三内丸山遺跡から確認されています。

時代が進むにつれて、建築材、燃料材、産業材として木の需要は増加し続け、同時に森林乱伐が進みました。そして、禿げ山と化した山に、スギ、ヒノキによる本格的な造林が始まったのは室町時代です。江戸時代には幕府による森林保護政策が押し進められ森林資源が回復に転じたものの、明治に入るとまたもや荒廃。日本の森の歴史は、乱伐と植林の繰り返しだったと言っても過言ではありません。

昭和20年〜30年代、戦後の復興等のため木材需要が急増し、政府は、広葉樹林の伐採跡地等に成長の早い針葉樹を植栽する「拡大造林」政策を全国的に実施。そのスギやヒノキが、今、一般的な「主伐期」である50年生を超え本格的な利用期を迎えています。

そして、東日本大震災からの復興に際しては、森づくりの方法論の一つである「宮脇方式」によって土地に適した在来の広葉樹を植え、災害からいのちを守る森をつくる「鎮守の森のプロジェクト」や、国交省がコンクリート堤防の陸側に植樹を行う「緑の防潮堤」などをはじめ、さまざまな植樹プロジェクトが進められています。

海外のさまざまな植樹プロジェクト

世界に目を移すと、最大の熱帯雨林であるアマゾンでは、違法伐採や大規模農業開発などによって森林破壊が進行。その対策として、ブラジル政府や世界各国の森林保護団体などによる植林が行われています。その中には、アマゾンに生きる先住民族が森と文化を守っていけるよう支援する活動の一環として、先住民居住地域周辺にマホガニーの苗木を植林するプロジェクトなどもあります。(森林火災多発のため、現在は植林事業を見合わせているとのこと)

海の森であるマングローブの植林活動にも、多くの国際NGOや企業が関わっています。エビの養殖池への転換などにより急速に消失したマングローブ林を取り戻そうと、大規模な植林が行われ、その多くは一定の成果が得られています。しかし一方では、2012年にフィリピンで100万本以上植えられたマングローブの苗木が、2020年時点で2%未満の生存率だったという発表も。また、植栽したマングローブが高波によって倒れた例なども伝えられており、植えた苗が必ずしもその土地に根付くわけではないことを物語っています。

さまざまな植樹・植林プロジェクトがあるなかで、意外に知られていないのは、アフガニスタンで命を奪われた中村哲医師のペシャワール会が現地で行った、100万本を超える植樹ではないでしょうか。その約6割は「柳枝工」(河川護岸の工法の一つ)に用いられるヤナギの木でした。中村医師は、医療にとどまらず、灌漑事業、農業事業、植林によって、アフガニスタンの緑化にも大きく貢献したのです。

一方、「緑の募金」で支援する海外の森林保全活動は、2021年度には海外24カ所に及びます。たとえば、フィリピン・ベンゲット州の鉱山開発地域では、樹木を植え、森を管理しながら、その間の土地で農作物を栽培したり家畜を飼ったりする「アグロフォレストリー(森林農業)」の手法による森林再生事業が行われています。

また、マリ・クリコロ州では、アフリカの「里山」において地域住民自らが育て、利用できる小さな森づくりを行い、里山再生による生活の安定化をめざしています。2021年には村や学校などにトロ、ユーカリなど在来種を1万本以上植え付けました。

ブラジル・パラ州では、自然林に近い森づくりを行うと同時に、その実務を地域の農産技術学校の生徒に体験させ、将来アマゾン森林復元に取り組める人材育成を行なっています。

これらのプロジェクトに共通して見られるのは、コミュニティでの取組、住民の自立・生活支援、環境教育や人材育成などのポイントです。植えて終わりではなく、地元の人々の手で森を育て、使い、また植えて循環させていく…。そのような植樹プロジェクトが世界各地で行われているのです。

参考資料