森づくりインタビュー - 立木 義浩さん

「森づくり」について各界の著名な方に語っていただきました。

今回、森林や自然に対する想いをうかがったのは、日本を代表するフォトグラファーとして、押しも押されぬ存在であり、美しい森林づくり全国推進会議発起人としても名を連ねていただいている立木義浩さん。「いま、啓蒙運動がバンバン必要なんだから、こんな薄っぺらい雑誌では間に合わないよ」と、本誌もしっかりとハッパをかけていただきました。

「美化しているだけでは運動は広がらない
文句が言いたくなるような部分を表に出すことも必要では」

立木 義浩さん

フォトグラファー 美しい森林づくり全国推進会議発起人 

1937年、徳島県徳島市に生まれ。1958年、東京写真短期大学(現・東京工芸大学)卒業。アドセンター設立と同時にカメラマンとして参加。1969年にフリーとなり、幅広い分野で活躍中。写真集に『イヴたち』『親と子の情景』『KOBE・ひと』『里山の肖像』『風の写心気』『ありふれた景色』等多数。

この世のものではないようなシーンとした森林

私は徳島市生まれで、通っていた小学校の近くに眉山がありました。戦時中には眉山の頂上にB29の監視所があって、そこには水が湧いていないから、子供たちが一升瓶やビール瓶に水を入れて運ぶわけ。兵隊さんが「ご苦労!」って敬礼してくれるのが嬉しくてね。これが最初のボランティア体験(笑)。

その行き帰りは細い山道なんだけれど、道以外のところも歩き回って、その時に森林の楽しみに味をしめたというか、かなり親しんでいました。シイの実がたくさん落ちているところがあって、それを拾って食べたりして。これが薄甘くて美味いんです。その後、祖母と子供だけで神領村に疎開したのですが、ここでは堰堤というものを初めて見て、泳ぎを覚えるのに夢中でした。

戦後、焼け野原の徳島市に家を建てたので引き上げました。ところが屋根瓦がないんですね。両親が友だちに頼んで、山の中に剥がして置いてあるスギの皮をもらって、それで屋根を葺いたのですが、そのスギの皮を山の中に父親と取りに行ったことを覚えています。父親と一緒に束をつくって道まで下ろすわけですが、男親と一緒に活動できる喜びというのは、私にとってはすごい経験だったんです。それと、なにより人が全然いないシーンとした森林。この世のものではないような感覚がありましたね。これに似た感覚が得られるのは、海に潜った時くらいかな。マンタに乗って海にスーッと沈んでいったことがあるのだけれど、これがまた実に良くて。その経験をしたから、今ではいい人になれたような気がします(笑)。

日本人は水気のある風景が落ち着く

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皆さんは「森林が大事」って叫んでいるけれど、それだけを言っていてもダメなのではないでしょうか。もちろん森林も大事なのですが、森林が地球全体に繋がっていることを意識していかないと。特に問題なのは水。世界的にほぼ枯渇しつつあるというか、ちゃんと飲める水の確保が難しくなっているわけですから。その点、日本はまだ恵まれていますよね。

昔で言えば、山を持っているというのはすごいことだったけれど、今は全然で「山なんか持っていると損しちゃう」みたいになっています。これは大きな間違いですよ。山は水を涵養してくれて、それがみんなのためになっているのならば、そんな山を持っている人に対して、国かどこかが、どうにか手当をするようなことをしなければダメなんじゃないでしょうか。とにかく、森林が大事と言うだけでなく、山を持ち続けたいと思えるような仕組みをつくってもらいたいですね。

私が審査委員長を務めた「世界自然遺産の森フォトコンテスト」の受賞作を見ても分かりますが(38号に掲載)、日本人が落ち着く風景というのは、やっぱり水気なんですよ。水が豊富な国だから、水があると落ち着くんです。日本映画を大昔からひもといても、水が出てこないものはほとんどありません。時代劇でも、必ず水のせせらぎが出てきたりしますよね。だから、日本の自然や景観を守るというのならば、日本のあちこちで時代劇が撮れるようにしてもらいたい。そう言うと、何をしなければならないか分かりやすいでしょ。

反省しない大人より、まだ純粋な子供に体験を

残念ながら、純粋な自然というのはほとんどなくなってしまいました。人の手が入らなければ自然は維持できないところまで来ているわけですから、これから私たちは、相当働かなければなりません。もう遅いかもしれないけれど、一生懸命考えたら遅くないでしょ、多分。そう思いたいですよね。

「地球環境を守りましょう」「森林を守りましょう」って言われても、それは社会正義だから、「そうですね」で終わっちゃう。本当の意味で自然や森林を守っていくためには、我々はもっとワーワー騒がなければダメですし、文句も言いたいんです。そのためにも「ワルい森林」を見たいですね。「こんな森林は、こういうワルさをするんだ」というものも、もっと知りたいのです。こういう運動はきれい事だけ言っていてもダメ。美化するだけじゃなく、現実の悪い部分も表に出していかないと、マスとしての運動に広がらないと思います。

森林と写真ということからすれば、紅葉になれば出かけていって、みんなで同じ場所で同じように撮るという、アマチュアカメラマンの慣例行事みたいなものがあります。絵はがきみたいで面白くない写真を撮っているのだけれど、それはそれとして、美しい自然には関心が深いわけですよ。ところが、その場所がダメになったら、彼らは別のポイントに移るだけ。もっと「大事な被写体がなくなった。どうしてくれる」って立ち上がってもらいたいですね。

そうは言っても、私も含めて一度良い思いをしている大人は、なかなか反省できないもの。反省したフリは出来るんだけど(笑)。そういう意味でも、やっぱり大事なのは、まだ純粋な子供です。私たちは「これだけ壊しちゃった、ゴメン」と子供たちに知らせる必要があるし、その上でなるべく現場に連れて行って、自然からいろんなことを感じられる体験を与えていくことが必要でしょう

※ 『ぐりーん・もあ 44号(2009 初春)』(国土緑化推進機構 発行)から引用しました。