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“21世紀の持続可能な開発には「水資源管理」が必要不可欠な課題である”という世界的認識のもと、2003年の3月、「第3回世界水フォーラム」が日本で開催された。そして、水資源の管理に重要な役割を占めるのが、森林であることは言うまでもない。
今回の特集では、人が水資源管理のためにどのように森林に関わってきたのか、また今後の展開について考えてみる。
contents- <特集1>:世界水フォーラムから見た、世界の水と森林との関係
- <特集2>:日本人にとっての”水と森林“
- <特集3>:森林水文学の現在とこれから
世界水フォーラム
から見た、
世界の水と
森林との関係2003年の3月に日本で開催された「世界水フォーラム」。その中で森林はどのように議論されたのだろうか。
また、これからの森林との関わりに対して、どのような提案を行っているのであろうか。
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182か国、2万4000人が参加
2003年の3月16日から8日間、京都、滋賀、大阪の三府県を会場に、第3回世界水フォーラムが開催された。ちょうどイラク戦争と重なり、国際情勢が不穏な時期であったにもかかわらず、182の国と地域から国際機関や政府、NPO・NGO、民間企業の代表など2万4000人(海外からは6000人)が参加した。 世界水フォーラムは、水に関する国際組織である”世界水会議(WWC)“の提唱により、「水を巡る紛争」「水や食糧の不足」「水質汚濁による不衛生な生活条件」「洪水の危機」といった国際社会における水に関わる諸問題を解決するための議論を深め、その重要性を広くアピールすることを目的とした国際会議である。3年に1度、国連水の日(3月22日)を含む期間に開催されており、第1回は1997年3月にモロッコのマラケシュ(63か国、約500人が参加)で、第2回会議は2000年3月にオランダのハーグ(156か国、5700人が参加)で開催されている。
水フォーラム全体会議風景
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”水“の舞台で、森林がやっと表舞台に
「第1回、第2回の水フォーラムは、いずれも水が少ない地域で開催されていますから、どうしても”水をいかに効率的に利用するか“という議論が中心でした。第2回では閣僚宣言も出されましたが、そのなかに森林という言葉自体が出てこないような状況だったのです。また、水フォーラム以外にも水に関する国際会議はいろいろありますが、そのなかで森林のことが十分に議論されたことは、今までありませんでした。2003年の水フォーラムはアジアモンスーン地域の、降水量は多いけれども急峻な地形のために水の利用が困難という特徴を持つ日本で開催されるわけですから、我々は、水問題における森林の位置づけを議論することを強く訴えたのです」と、林野庁水源地治山対策室長の安藤伸博さん(2003年当時)は言う。
そこで2003年の水フォーラムでは、林野庁をはじめとする森林・林業関係諸団体によって「水と森林委員会」が設置されるとともに、水と森林ヴァーチャルフォーラムや国際森林専門家会議の開催といったプレイベント、「水と森林」分科会や水と森林円卓会議の開催、記念森林における植樹、展示といった、水と森林に関わる多彩なイベントが実施された。「水フォーラムの最後には、29項目に及ぶ閣僚宣言(~琵琶湖・淀川流域からのメッセージ~)が出されましたが、結果的にそのなかの2項目で森林のことが触れられ、森林の水に対する機能の重要さと、水を確保するためには持続可能な森林経営が必要であることが国際的に認知されました(別項参照)。このことは、非常に意義があったと思います」と安藤さん。森林はようやく、世界の水問題の中で、他の様々な懸案と同じレベルで議論されるようになったのである。
水と森林円卓会議風景
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3つの宣言文で、水と森林の課題と行動目標を明文化
2003年の水フォーラムでは、水と森林に関して3つの宣言文が採択された。ひとつは、2002年11月20~22日にプレイベントとして開催された”国際森林専門家会議「森林と水」“における「森林と水に関する滋賀宣言」、そして、3月18日に開催された”水と森林分科会“における「水と森林分科会」宣言文、さらには3月21日に水関係者と森林関係者との間に共通認識を醸成することを目的として、林野庁主催で開催された”水と森林円卓会議”における「水と森林に関する行動のための琵琶湖宣言」である(下記別項参照)。
各宣言文では水問題の解決のために、地域、国家、国際的といった各レベルで分野横断的に森林管理・整備を推進すること、それに関連した科学的調査・研究を促進し、得られた知見や情報の普及啓蒙を進めること、水と森林に関わる全ての利害関係者のパートナーシップを促進することなどが明文化された。「2003年の水フォーラムでは、水資源保全に対しての森林関係者のプレゼンス(存在意義)を、ある程度示すことができましたから、成果ありと言えるでしょう。”国際森林専門家会議「森林と水」“では、森林を持続的に管理する必要性が水問題の観点からも言えるということについて、世界的に意見の一致が得られました。滋賀宣言は、その上で、世界各国の森林と水の専門家の立場から、水資源保全のためにも重要な”持続可能な森林管理“を実現するための課題と、その解決のための具体的行動についてを提言したものです。
「森林と水」分科会において発言する
太田委員長(2003年当時)水フォーラムにおける分科会の宣言文や琵琶湖宣言は、世界各国の水と森林の関係者や政府の担当者が、滋賀宣言で提言したこと等の実行を一致して推進していくための指針であり、課題の解決に向けて一歩踏み出したものと評価しています」と、「水と森林委員会」委員長を務めた東京農業大学地域環境科学部教授の太田猛彦さん(2003年当時)は言う。
これらの宣言文をうけて、さっそく林野庁では、国際ネットワークづくりに着手している。
「まずは、森林と水に関する様々な情報を掲載し、行政関係者や学識経験者、また一般の方も意見交換ができるようなwebサイトを整備していきます。森林と水との関係を幅広く国民に紹介していくことの第一歩にもなりますし、さらには森林と水との関係が国際的に正しく認識されるためのネットワークづくりの一助となるようにしたいと考えています」と安藤さん。
●閣僚宣言-琵琶湖・淀川流域からのメッセージ-(29項目)における、
森林に対する言及部分- 良質な水の持続可能な供給を確保するため、我々は、河川、湿地、森林、土壌等のような水を自然に保持、浸透、貯留、放出する生態系を保護し、持続可能な方法で利用すべきである。
- 流域及び森林の劣化が急速に進んでいることを踏まえ、我々は、緑化、持続可能な森林経営、荒廃した土地や湿地の再生、及び生物多様性の保全を促進するためのプログラムを通して、森林減少、砂漠化、土壌劣化に立ち向かうための努力を集中する。
●国際森林専門家会議「森林と水」で採択された「森林と水に関する滋賀宣言」に
よる提言の概要- 森林と水に関する生物物理学的、社会経済的側面への理解を深め、それらに基づく各地域の状況に応じた分野横断的な取組みを行うこと。
- 森林と水資源の経済的価値、種々の政策・施業の経済面の影響の適切な評価をすること。
- 受益者負担など、森林と水が提供するサービスを持続的に発揮させていくための適切なインセンティブを創出すること。
- 科学的知見に基づいた適切な森林及び水管理政策の策定や、それによる具体的な成果を挙げるため、政府、地域共同体、研究機関、市民社会、民間セクター、森林や水の管理者などの関係者による効果的かつ公平なパートナーシップを形成すること。
- 森林資源の評価において、森林と水の相互関係も視野に入れること。また、そのために国際社会に対する十分な協力を要請すること。
●「水と森分科会」宣言文で掲げられた行動目標- 森林の水土保全機能を踏まえた森林管理・整備の推進
- 森林の水土保全機能についての科学的研究とその評価方法についての研究の推進
- 森林の水土保全機能を考慮した森林管理技術の開発と体系化
- 水に対する森林の重要性、適切な森林管理の必要性の世界各地への普及啓蒙
- 国際的な情報・人の交流と国際協力の促進
●「水と森林に関する行動のための琵琶湖宣言」で掲げられた行動目的の概略- 水問題の解決に向けた包括的かつ多面的な水管理プログラムの一環として持続可能な森林経営のための行動の必要性について確認し、総合的かつ分野横断的に、地域的、国家的かつ国際的なレベルでの問題解決に取り組む。
- 健全な水循環系の保全と回復のための適切な総合的流域管理及び森林の水文学的な機能に関する総合的な評価を促進させるため、それに関連する調査研究やモニタリングを推進、活用する。
- 森林及び水に関連するさまざまな政策や管理手法がもたらす文化的、社会経済的影響を認識し、全ての利害関係者間の協力の体制やパートナーシップを促進する。
- 持続可能な森林経営を促進するため、科学的知見と情報を普及していくことが緊急に求められている。このため効果的かつ理解しやすい教育手法を開発するよう努めるとともに、知識の共有と人材の育成の促進を目的として、水と森林に関する情報と経験を交換するためのネットワークを開発する。
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森林と水に関する知見の正しい認識が必要
「もともと私は、水と森林との関係においては日本は特殊な国で、世界での受け止め方とはちょっと違うんじゃないかと思いながら、水フォーラムに臨みました。でも結論的には、『水から見た森林の管理に関する問題は、日本も海外もそんなに違わないな』という印象を得ました。つまり、水に対する森林の機能についての正しい知識が普及しておらず、関係者の認識が上下流で一致していないんです。そのために、森林管理に対する下流の受益者からの支援が、どこの国でも十分に得られていないんです」と太田さんは言う。
森林と水との関係において、最も基本的なこととして知っておかなければならないのは、”森林は水を消費する“という事実である。森林と人間は、水利用の上で競合することもあるのだ。そのことを理解した上で、水源かん養機能だけでなく、多様な機能を併せ持つ森林をいかに管理していくかが問題となる。
「要するに、雨の少ない国々では、森林には大切な機能があることは分かっていても、森林が水を使ってしまうことはもっと切実な問題です。だから海外の森林関係者は、一般の人に対して『森林があった方がいい』ということが言いづらく、悩みが深いんです。私たちは逆です。”緑のダム“の働きが買いかぶられている面もあることが、本来必要な森林管理の妨げになっているという部分もあるのです。世界各国で事情は異なるわけですが、森林のことが十分理解されていないがために問題になっている、という部分は共通なのです」
諸外国と比べれば日本は降雨量が多いので、森林が水を消費することはあまり問題視されていないし、洪水緩和や流量調整、水質浄化といった森林の水源かん養機能の恩恵を十分に受けていると言える。しかしそれでも、西日本の諸都市が毎年のように水不足に見舞われていることを考えれば、さらなる高次元での水源かん養機能発揮を求める必要がある。
「そのためには、ただ森林に水を消費させておくわけにはいかないのです。一般に、樹冠の葉量が多いほど森林は水を消費しますから、こと水源かん養機能を追求するのであれば、ただ鬱蒼と茂った森林ではダメなのです。つまり、森林に水の消費を我慢してもらって、その分を人間に譲ってもらう必要があるわけです。森林の葉量を制限して森林の水消費量を抑えることが有効であり、そのための施業として除伐・間伐・枝打ちなどが考えられます」と太田さん。これは、従来の林業施業である。つまりは、水源かん養機能の発揮と木材生産は両立するわけだ。もちろんこれらの管理も、森林の多面的機能の総合的発揮の範囲内で行われるべきものであることは言うまでもない。
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もっと俯瞰的に森林を考えよう
2003年の水フォーラムの成果を、森林関係者の立場として端的にまとめるとすれば、日本でも世界でも「森林の管理・保全に関して、水資源保全の観点からも考えるべきだということが、世界的に確認された」ということになるだろう。森林の機能としては、最近は特に二酸化炭素吸収・固定能力が注目されているが、これからの森林を考える上では、その能力をトータルに、そして科学的に考えなければならないということが、あらためて明らかにされたわけである。
「でも本来ならば、2003年の水フォーラムの17のテーマのうちのひとつに森林があって、そのなかに、いくつかの分科会を持つようにならなければならないでしょう」と太田さんは言う。
「森林関係者は、森林からものを発想しがちですが、全地球的な問題から考えれば、”森林が全体に寄与する“のではなく、”全体の問題に、森林はいかに寄与できるのか“というふうに考えるべきなのだろうと思います。そういう発想のズレが、”水問題“という大テーマのなかでの森林関係者のプレゼンスがまだまだ小さいことの理由のひとつではないでしょうか。俯瞰的に森林を考えて森林の保全や管理、経営をしていけば、森林が国民の意識にピタッと当てはまるようになっていくのではないかと思います」日本で開催された水フォーラムで、世界的な水問題のなかでの森林の位置づけが明確になった。ということは、世界の水問題のなかでの森林セクターのリーダーシップを、日本が発揮していく責任があると言えるのかもしれない。そのために、林野庁も国際ネットワークづくりに着手している。そして私たち国民自身も、森林と水との関係を正しく理解することから始める必要があるのである。
世界各国の人が参加した記念森林での植樹
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日本人にとっての
”水と森林“我が国において、人々はこれまでどのように“水と森林”に関わってきたのだろうか。筒井 夫さん(森林文化政策研究会議会長・東京大学名誉教授)(2003年当時)にお話しを伺いながら、林政史をひもといてみた。
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常ならぬ川に対し、飛鳥時代から伐採禁止令
世中は何か常なる飛鳥川
昨日の淵ぞ今日は瀬になる
この歌は、古今集にある詠み人知らずの歌であり、昨日は淵であったのに今日は瀬にと激しく姿を変える飛鳥川が、この世の無常の例えとされている。かつての日本の川は、それほどまでに当時の人々にとって手に負えないものであったことが窺える。
「日本は、こんなに狭い国なのに脊梁部には高い山がそびえていますし、2000mm近くも雨が降ります。さらには地盤が花崗岩だったり火山灰だったりするわけで、水がどんどん流れてしまうのは当たり前です。明治時代に日本に来たオランダの土木技師デレーケが、日本の川を見て『これは滝だ』と言ったとおり、こんなに流れの激しい川を持つ国は、日本以外にはほとんどありません。そして日本のむらづくりの歴史を見れば、まずは水のあるところ、川のあるところに集落ができており、そこに住む人のほとんどが農民です。そして農民が何に困るかと言えば、水不足に困り、川の氾濫に困るわけです。
ですから昔の水問題の切実さは、現在の比ではありません。その被害をどう防ぐかを考えながら暮らしてきた当時の人々が経験的に知ったのが、『やっぱり上流には森がなければならない』ということなんです」と筒井さんは言う。
飛鳥時代の天武5年(676年)には、飛鳥川の上流にある南淵山と細川山の草木採取と畿内山野の伐木を禁ずる令が出されている。これは日本における森林伐採禁止令の最古の記録であり、保安林の初見であると言われている。また、平安時代の弘仁12年(821年)には、大和の国司が、大和一円にわたる灌田水辺の山林の伐採を禁じている。これは森林の水源かん養・土砂崩壊防止機能を発揮させる観点からのことであるとされ、水源かん養林の初見と言われている。室町時代には、山林の荒廃や洪水被害を防止し、開田事業を保護するために植林の奨励がなされ、焼畑が禁じられている。
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江戸時代には、水源かん養のための具体的な施業も
農民にとって水問題の切実さは、江戸時代に入っても変わることはない。
「例えば、藩主が炭焼きのために水源林を伐ろうとしたときには、農民が反対しています。山が裸になったら水が涸れるじゃないか、涸れたら我々の生活が困るじゃないか、と、むしろ旗を立てるわけです。宮崎安貞や熊沢蕃山といった当時の農学者も、山は国の源であると言っています。そしてその源というのは、やっぱり水なんですね」
元和4年(1618年)には長岡藩主の牧野忠晴が水野尾林(御水林)を設定しており、これは最初の水源かん養保安林制度とされている。万治3年(1660年)には、幕府は淀川と大和川の洪水による土砂流出防止のために、山城・大和・伊賀の三カ国において木の根を掘らぬよう、さらには山々に木を植えるように布令している。さらに寛文6年(1666年)には諸国山川掟が定められ、川筋の森林の焼畑が禁じられている。
●長谷寺(滋賀県高島郡高島町音羽)の縁起絵 
琵琶湖の西岸高島町音羽集落は、嶽山(565m)の麓にある。この山は音羽の農民たちの里山であり、古くから生活の拠点であった。しかもこの山は、奈良時代の杣山として大量の材木が伐り出され、そのためであろうと推測されるが、山は荒れ、荒廃状況は現在まで続いている。おそらく近世の頃も荒廃の情景は続き、農民たちはその荒廃を憂いたことであろう。その住民の心情を証拠づけるような絵が、上記2枚の縁起絵(江戸時代の中頃か?)である。
左図は、木が伐り倒され山は裸になり、水の流れは少なく田畑も荒れ、人々の暮らしが貧しい様を描き、右図は、水源の森が茂り、水の量は豊かで、入り会い山の草も潤沢で、田畑は作物で満たされ、農民の暮らしも平和で豊かな姿を描いている。左図は荒廃の原因を、右図は「こうなってほしい」との願望を絵で表したものと解される。
<参考>筒井 夫「近世の里山利用観(事例)」(森林文化研究 第20巻 1999)
瀬田勝哉「絵解き」(green letter・19 公益信託富士フィルムグリーンファンド 1997.12)
<撮影>中村年延
元和4年(1618年)には長岡藩主の牧野忠晴が水野尾林(御水林)を設定しており、これは最初の水源かん養保安林制度とされている。万治3年(1660年)には、幕府は淀川と大和川の洪水による土砂流出防止のために、山城・大和・伊賀の三カ国において木の根を掘らぬよう、さらには山々に木を植えるように布令している。さらに寛文6年(1666年)には諸国山川掟が定められ、川筋の森林の焼畑が禁じられている。
そして寛保2年(1742年)には、さらに具体的な施業が指示されている。この年、幕府は勘定奉行に対して「河辺の御林で枝の多い木には下枝おろしを、木が込み合っていれば切り透かしをすべき」と命じているのだ。
「このことも、おそらくは洪水防止対策として命じられているのでしょう。切り透かしというのは、ようするに受光伐です。森に光が入ることによって下草や灌木が生えて、水源かん養能力が高まるといったことが考えられていたのだろうと思います。二段林、三段林といったことまで頭にあったのかもしれません。諸国山川掟から約80年経つことで、ただ『木を伐るな、植えろ』というだけではなく、具体的技術を言うようになっているわけです。それだけ当時の日本人の経験が深まったと理解していいでしょう。これはすごいことだと思います」
江戸の頃までの水源林は、このようにお上から発せられた掟や命令によって守られてきた。また庶民の間でも、タブーをつくりだすことによって水源林を守ってきた。
「天狗山と言われるような山はどこにでもありますが、これは大概、水源林です。その山に遊びに入った子供は天狗にさらわれてしまうとか、そういったタブーは、水源林を守るためにつくり出されたものなんです。もしくは、神が宿る尊い神聖な森をお守りしましょう、といった考え方ですね。こういう考え方は日本人の心そのものですから、現在でも大切にしたいものです」
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現在必要なことはあらたな普及・啓発
このように日本には、水と森林とに深く関わってきた、世界に例を見ないような歴史がある。逆に言えば、かつての日本人にとってそれだけ切実な問題であったということである。しかし、都市構造も産業構造も全く変わってしまい、農民の比率も格段に減っている現在の日本人には、そこまでの水問題に対する切実感は見受けられない。そしてそのことは、森林と人々との距離を遠ざけてしまっている要因のひとつでもある。
「蛇口をひねれば水が出てくる現在では、都市住民のほとんどが水がどこから来ているのかさえ知りません。そんな現代人と森林を結びつけていくには、やはり教育が大切です。人間は水がなければ生きていけないこと、そのためには森を大事にしなければならないということを、あらためて普及・啓発していかなければならないでしょう。2001年、森林・林業基本法ができましたが、この最も大きな目的は、実はこのことだと思います。明治時代につくられた林政は、木をつくるということだけが目的で、人を見ていませんでした。新しい林政では、人を見ようとしているわけです。この新しい林政の幕開けの時期に水フォーラムが開催されたのは、本当にいいタイミングだったと思います」
水問題における森林の重要性を啓蒙していくことにおいて、今後重要になってくることのひとつは、水フォーラムで出された3つの宣言文(特集1参照)においても盛んに言及されている”科学的知見“である。寛保2年に江戸幕府が命じた受光伐の根拠を裏付けるものは、その時代までに得ることができた経験則だけであった。しかしこれからの時代は、科学的な裏付けをしていかなければ、コンセンサスを得ることが難しくなっているのである。
「2003年現在、林野庁が緊急間伐五カ年計画(2000~2005年)を推進していますが、そのポイントは間伐率です。水源かん養保安林の施業要件をゆるめようとしているわけですが、実際にどれくらいの森林の状態にしなければならないのか、ということを知らなければならない。そういう準備をいま、行っているわけです」
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”圏“としての統一的な管理が必要
また水フォーラムでは、水管理の一環としての持続可能な森林経営のために、分野横断的な取り組み、そして各関係者による公平なパートナーシップの形成が必要、としている。
「まったくその通りです。例えば、同じ富士山の上に降る雨でも、流れ着くのは山梨、静岡、神奈川と違ってきます。それを富士山の山塊としてキチンと管理していくことが大切でしょう。これを私は”圏“と言っていますが、流域だけではなく、圏として全体をまとめた森林の管理をしていかなければなりません。要するに、水を管理する行政の統一が必要だと思います」
そのことは、行政区域の別だけでなく、民有林と国有林、上流と下流との間でも同じことが言える。
「しかし、こういうことができるのは、やはり日本をおいて他にないのではないでしょうか。なんといっても、日本はレベルが高いですから。知的水準が高いとか、そういうことを言っているのではありません。日本人の、水と森林とに関わってきた2000年という歴史が、そこで生きてくるはずなのです」
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地球全体の循環を意識して水利用に対する応分の対価を
また、水フォーラムの国際森林専門家会議「森林と水」で採択された「森林と水に関する滋賀宣言」による提言には、「森林と水が提供するサービスを持続的に発揮させていくための適切なインセンティブを創出すること」という項目がある。つまり、水源の森を保全していくための負担を誰がするのか、ということである。
2003年の水フォーラムに対して、「水は基本的人権であり、すべての人々に保障されるべきという国連の場で確認された根本原則さえ確認されておらず、水に関する根本的なコンセンサスが得られなかった」という批判がある。この問題に関してここで云々することはできないが、全ての人が水を利用する権利を持っているという認識は、今後の森林保全に対しても重要な意味を持つ。
「所有権としての水利権は無いけれども、誰にも利用権としての水利権は当然あるし、そのことを主張してもいいと思います。私たちは水がないと生きていけないんですから。しかし、利用することに対する見返りは、当然負担していかなければならないわけです。もっと言えば、太陽からいただいた光と熱によって地球全体の循環系が形成されていて、その恵みを全ての人間が享受しているのだし、そのなかに水も森林もあるわけです。そのことをもっと意識して欲しいと思います。そして『応分の対価』を、水を育む森林に支払うという積極的な対応をしてもいいのではないでしょうか。これからの時代は、そういう合意に向かっていきたいですね」
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森林水文学の
現在と
これからこれからの水と森林と人との関係において重要なのは、“科学的知見の普及・啓発”とされている。では、現在ある科学的知見とはどういったものなのだろうか。気鋭の水文学者である蔵治光一郎さん(東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林講師)に伺ってみた。
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”科学的知見“が必要になってきた背景
「特に日本では、”森林は水資源の確保や洪水防止に関して良いことばかりに違いない“と理解されている部分があると思います。でも実際には、いろんな状態の森林があるわけです。まずは”良いに決まっている“という発想から脱却して、どういう森林が良くてどういう森林が悪いのか、あるいは機能にはどの辺に限界があるのか、ということをハッキリさせていかなければならないでしょう」と蔵治さんは言う。
特集2で取り上げてきたように、我々日本人には”水と森林“に関わってきた長い歴史と経験則があり、その経験則が”良いに決まっている“という意識を生んでいることは事実だろう。そのことに関して、これまであまり問題にされることもなかった。しかし、現在の日本において、森林の水源かん養機能に関する科学的知見を明らかにする必要性が出てきたことのひとつには、近年各地でダムや河口せき建設に関する是非の議論がまきおこってきていることがある。
「一方では森林を、水にとって良いに決まっていると言い、もう一方は、水にとって森林は無視できる程度の存在でしかないと言っているわけです。これでは建設的な議論にはなりません。森林サイドも『森林の水源かん養能力は無限なわけではなく、限界がある』ということを知っておかなければならないし、ダム建設サイドにしても『森林には無視できない能力がある』というように、謙虚に歩み寄らなければなりません。そのために”科学的知見“が必要なのです。今のままでは、本当の意味での森林のあり方を考えることにつながっていかないという危機感を、私たち研究者は持っているのです」
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洪水に対してはプラス、渇水に対してはマイナス
蔵治さんは、世界各地で行われている流域試験についての事例を整理している。流域試験とは、ある流域を単位として、降水量と水流出量を精密に測定し、森林除去や造成、樹種転換などの操作を加えることによって、流出量にどんな影響が出るのかを調べる試験のことである。
「分かったのは、森林が流域の水流出量に及ぼす原理的な部分には世界中で違いはないということです。もちろん各国で現象は違うのですが、それは原理が違うのではなく、地質条件や地形、降雨量といった条件によるものなんです」
表は、蔵治さんがまとめた世界各地で行われた流域試験の結果である。そこから読みとれるのは、流域に森林があることは、年間の水流出総量そのものに関してはマイナスの影響、洪水に対してはプラスの影響、そして水流出量がそれ以下になる時間は全体の5%や10%になるような極端な渇水に対してはマイナスの影響がある場合が多い、ということだ。そして、この結果を生じる基本は、やはり”森林は水を消費する“という事実である。●東京大学千葉演習林に
設置された試験流域
伐採1年後
伐採2年4ヶ月・植林4ヶ月後
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●各地で行われた流域試験における機能評価
<処理タイプ> A:草地に植林 B:森林を伐採 C:森林の自然成長 D:植林木の生長 E:農地造成
<影 響 評価> 森林伐採前後ないし森林成長前後の比較で、森林の存在や成長が、
◯:プラスの影響 ×:マイナスの影響 △:どちらとも言えない
「図は、洪水時の流出量減少をモデル的に表したものです。森林は、豊富に水がないと生きられませんから、貯水容量、保水力の大きい土壌を自らつくり出し、その上に生育しています。雨が降っていない間は流出や蒸発によって、山に貯まっている水はどんどん減っていきます。この減り方は、森林がない流域に比べて、森林がある流域の方が大きくなります。大雨の際は、もともと土壌の貯水容量、保水力が大きいことに加えて、貯水量をあらかじめ減らしておいた分、森林の方がより多量の水を蓄えることができるのです。ところが、これは乾燥が続いた後の大雨という極端な例であって、ずっと雨が降り続くようなタイプの大雨の場合は、貯水容量の差がさほど大きくなくなり、洪水に対する森林の有無の差は相対的に小さくなる可能性もあります。ですから洪水の抑制機能も、大雨の前がどういう状態だったかとか、そういうことが影響してくるんです」 森林の有無による水貯留容量のモデル図
これまで、いわゆる”緑のダム機能“を語る場合によく言われていたのが、森林に降った雨をゆっくり流し出す能力である。そのことに関してはどうなのだろうか。
「その能力はイメージとしては分かりますし、それを否定する人はいないと思います。しかし、本当にどれくらいの能力なのかをデータではまだ示せません。それが森林の有無だけによっておこることなのか、それとも森林に関係ないくらいまで深く浸み込んだ後の地質の条件も影響しているのかということが、場所によって違うと思うんです。私も日本のかなりの場所の状況を調べてきましたけれど、森林が十分でなくても、ゆっくりと水を流し出す川もあるのです」
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普遍化できるデータ構築が今後の課題
”科学的知見“という言葉のイメージからすれば、それが普遍的な事実であることが望ましい。しかし現在のところ、そう言いきれるものは少ないのが現状である。普遍的に言えることは現象だけであり、数値的には、まだなにも言えない。
「今は、森林には全く効果が無いという人と、機械的に、例えば洪水時のピーク流出量を30%カットする効果がある、という人と両極端になっているわけです。でも私は、森林があることで一律に30%カットといったことはあり得ないと思っています。条件によっては50%かもしれないし、5%かもしれません。森林水文学のこれからの課題は、まさに、そういうことだと思うんです。科学的に説明するには限界がありますが、こういうタイプの雨ならばこれくらいの効果がある、こういうタイプの雨ならばこれくらいの効果しかない、といった部分を誰にでも分かるように説明できるようになることですね。もし場所によってあまりにも違うのならば、その都度その場所で調べなければならず、他の場所のデータはあまり参考にもなりませんが、日本のいくつかの場所で調べた結果、これくらいのことは日本全国共通で言ってもいいのではないか、ということがあるかもしれません」
また、いわゆる水源かん養能力には、水の流出量への影響だけではなく、水質への影響も含まれる。このことに関しての追求も、今後の課題である。
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山を見て、これからの森林を考えよう
雨が多く森林も豊かで肥沃な日本においては、「現状は”水と森林“ということに関しては、あまり神経質にならなくても大丈夫だと思います」と蔵治さん。むしろ心配なのは、これからの森林のあり方であると言う。
「林業が経済的に難しくなっていて、今後それが改善できないようだと、そのことが水問題に何らかの影響を及ぼしかねないと思っています。水のことだけでなく他の機能を考えてみても、森林が手入れをされないことは良いことではありません。ボランティアにせよ他の方法にせよ、これからの森をどうしていくのかを真面目に考えなければならないのではないかと思います。ですから、あるダムに対して賛成・反対と議論をしている人たちも、そのダムの上流の山を歩いてみて、その山がどんな状態かということを、まずは知って欲しいと思います」
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